と言っても言い過ぎではないくらいのピカソ(1881-1973) をめぐる女たち。
オルガ、マリー・テレーズ、ドーラ・マール、フランソワーズ・ジロー、ジャクリーヌ。
そしてよくピカソが滞在した場所カダケス、セレ、ソルグ、アヴィニヨン、ローマ、ロンドン、アンティーブ、モンテ・カルロ、バルセロナ、ディナール、カンヌの別荘ラ・カリフォルニー、ボワジュールの城、アンティーブの城、ヴォーグナルグの城などなど。
この最後の愛人ジャクリーヌは最初の妻オルガが亡くなって3年後の1958年に結婚をしている。
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デヴィッド・D・ダンカンの写真集「ピカソとジャクリーヌ」によれば
ピカソは1955年カンヌの別荘ラ・カリフォル二ーを購入後ジャクリーヌとともに暮らし始めている。彼女は穏やかな暮らしを維持し、ピカソのホステス、シェフ、秘書、通訳、運転手、メッセンジャーなどその他もろもろの役を果たしていた。
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ときおりピカソはともに暮らす歳月から愛情にかられ、
心からの幸福な気持ちを込めて手づくりの贈り物をしており、
この粘土で作られた首飾りもその中の一点で、
彼女はこれを宝石よりも大切にしていたという。
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またピカソはジャクリーヌとの結婚後に、
エクス・アンブロバンス近くのヴォーグ・ナルグ城を購入。
ダンカンは写真集のなかで書いている。
「やがて彼は、また、自分自身で悩みを背負った。
広大で歴史的な由緒があり、
訪問者を寄せ付けないほど遠方の城を買ったのだ。
最初は、本当に名案のように思われた。
まもなく絵の収容空間がなくなるラ・カリフォルニーとはちがって、
城の各部屋が絵でいっぱいになるには、
何年もかかるだろうという推定だった。
しかし彼は引っ越さねばならずジャクリーヌは彼の苦悩を感じ取っていた。」
ピカソ77才のときである。
ジャクリーヌと巡り合ってからの作品に
『アルジェの女たち』
『ラ・カリフォルニーのアトリエ』
『官女たち<ラス・メニーナス>』
『パリのユネスコの建物のための<イカロスの墜落>』
『マネの<草上の昼食>によるデッサン』
『サビニーの女の掠奪』
がある。
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今日も一日よい日でありますように❤
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