2011年9月12日

2011年4月20日

奇跡


桜のはなびらも風に散って、
少しずつ野山が新緑に包まれる頃、
電車を乗り継いで、海の見える場所まで行った。

あなたは、いつもそばで楽しげに彼女と戯れて、
少しばかり冷たい4月の風に吹かれていた。

美しい鶯の鳴き声は、聴こえたかしら・・・
さらさらと流れる川のせせらぎの音は、聴こえたかしら・・・
木々の葉がすれ合い、楽しげに語っているのが、聴こえたかしら・・・

奇跡、すべてが奇跡よ。

彼女との語らいが、素晴らしい歌になる。
彼女との戯れが人生の歓びとなる。

4月の爽やかな自然の中を歩きながら
彼女はこの奇跡を神に感謝した。




今宵もよい夢を

2011年3月25日

ムーシュのために

ぼくは夏の夜の夢をみた、
月の光の中に蒼白く荒涼と
建物が並んでいた、ルネサンス時代の
華麗な建物のなごりだった、廃墟だった。

ただところどころドーリア風のどっしりとした柱頭をもった
柱が瓦礫の中ににょきにょきたって、
空に走る稲妻をあざけるように
高い天空を見上げていた。

地面には玄関や、彫刻のある破風屋根の
破片があたり一面にちらばっていた、
人間もあれば獣もあり、ケンタウルスやスフィンクス、
サティロスやキマイラ―など伝説時代の異形ども。

それに石の女人たちも
高い草に埋もれてころがっている。
悪性の微毒である「時」が
けだかいニンフの鼻をちょっぴり崩してしまったが。

かと思えば、蓋のない大理石の石棺が
少しも損なわれずに廃墟の中に立っている、
棺の中も少しの傷を受けぬまま
一人の死者が忍従の面持ちで横たわっていた。

頸を伸ばした女身柱が
重そうにその棺を支えている。
両側にはまたたくさんに
浅浮彫の姿が見える。

ここにはオリンポスの壮麗な神々が
しどけない異教の神々とともどもに集い、
そこにはまたアダムとエヴァが二人とも
無花果の葉を前に当てて立っている。

ここにはトロイの滅亡と炎上とが見える、
パーリスとへ―レナがいる、ヘクトルもいる。
モーゼとその兄アーロンもすぐ傍らに立っている、
エステルもいればユーディトもいる、ホロフェルネスもいればハーマンもいる。

同じようにアーモルの神も見えれば
陽の神アポロも、ヴルカヌスもヴェーヌスも、
プルートーもネプトゥーンもディアナもメルクールも、
バッカスの神もプリアポスもシレ―ノスも。

その傍にはバーラムの驢馬が立っていた
ーーーこの驢馬はよく物が言えるのだったーーー
そこにはまたアブラハムの試練が見られ、
娘たちと酔っぱらったロトの姿も見えた。

ここにはまたヘロデスの娘の踊りが見られた、
洗礼者の首は皿の上に載せられている。
地獄もここに見られサタンもいる、
大きな天の鍵を持ったペトロもいる。

好色のユピターの欲心や乱行も
かわるがわるここに彫りだされている、
白鳥となってレダをかどわかし、
金貨の雨となってダナエを誘惑したさまも。

ここにはまたディアナのたけだけしい狩りのさま、
彼女に従うのは裾を短くからげたニンフたち、犬たち、
ここには女の服をまとったヘラクレス、
糸車を廻しつつ腕には糸巻竿を持っている。

その傍らにはシナイの山も見えている。
山にはイスラエルが彼の牡牛らと立っており、
キリストが子供の姿で寺院の中に立ち、
正教徒らと討論しているのも見える。

ここに対立するものがどぎつく並べられている、
ギリシャ人の悦楽とユダヤの神の思想と。
そして唐草模様のように
常春藤の蔦がその二つにからみついている。

だが、不思議なこともあるもの。そうやって
夢のうちにそれらの姿を眺めるあいだに、
とつぜんぼくは気づくのだ、自分自身が
あの大理石の美しい石棺の中にいる死者なのだと。

しかしぼくの臥床の頭のところに夢のような姿の花が一つ咲いていた、
葉は硫黄のような黄色と紫で、
花の中にはしかしはげしい魅力がこもっていた。

民間ではこれは受難の花と呼ばれ
神の子が十字架にかけられ
世界救済の血を流したとき
その髑髏のようなゴルゴダの丘に咲いたと言われる。

この花はまた殉教の花とも言う、
そして殉教者を苦しめる
刑吏の用いる拷問の七つ道具の摸像を
すべてその夢の中に収めていると。

そうだ、受難のすべての道具がここに
見られるだろう、拷問の部屋そっくりが。
たとえば、笞、綱、荊棘の冠、
十字架、萼 釘、それから鉄槌。

そのような花がぼくの墓のほとりに立ち、
ぼくの骸の上にかがみ込み、
悲しむ女のように、ぼくの手にキスした、
途方にくれたように黙ってぼくの額に、ぼくの眼にキスした。

だが夢の魔術よ。不思議なことに、
受難の花、黄色い花は、
女の姿に変わった、
彼女だ、---まがうこともない恋人だった。

花はきみだった、可愛い子よ、
きみのキスでぼくはきみだと悟ったのだ、
花の唇はそんなにやさしくはない、
花の涙はそんなに火のように熱くはない。

ぼくの眼は閉じていた、それにもかかわらず
ぼくの魂は絶えずきみの顔を見つめていた。
きみはぼくを見ていた、幸福そうに惚れぼれと、
そして月の光に照らされて精霊のようだった。

ぼくたちは語らなかった、しかしぼくの心は
きみが黙って心の中で考えていることを聞きとったーーー
語られた言葉は恥知らずだ、
沈黙こそ愛の純潔な花だ。

そしてこの沈黙は何と多くのことを語るか。
何もかも比喩なしに語る、
無花果の葉などかぶせず、抑揚の
技巧も、修辞家の円滑な口調も要らず。

声に出ぬ対話よ。
黙ったままのやさしいおしゃべりのうちに、
悦楽と戦慄とに織りなされた夏の夜の美しい夢の中の
時間は何と信じ難いまでに早く過ぎていくことか。

ぼくらが何を語り合ったか、ああ、けっして問わぬがいい、
草むらに何を光ってみせるのか、蛍にたずねるがいい、
小川の中で何をざわめくか、彼にたずねるがいい、
西風に何を泣くのかたずねるがいい。

たずねるがいい、何を光るのかを、紅玉に。
たずねるがいい、何を匂うのか、「夜のすみれ」や薔薇の花に。
だが月の光の中で受難の花と死んだ愛人とが
何を打とけて語り合ったかたずねたもうな。

どれくらいの時間、ぼくのまどろみの冷たい石の寝床で
美しい歓びの夢をたのしんでいたか、
ぼくは知らない。ああしかし妨げる者もない
ぼくの静かな歓楽はいつしか消えた。

おお死よ。おまえの墓の静寂で、おまえだけが
無上の悦楽を与えることができる。
愚かにも荒々しい生は、幸福の代わりに
激情の痙攣を、絶えまない欲心を与えるだけだ。

だが悲しいかな、幸福は消えてしまった、
戸外でとつぜん起こった騒動に。
どなり散らすやら、地団駄ふむやら、大変な喧嘩。
ああ、ぼくの花はおどろいて逃げてしまった。

そうだ、外ではどえらい喧嘩が始まった、
がやがやわいわいけんけんごうごう。
はてな、何だか声に聞き覚えがあるようだーーー
なんだ、ぼくの石棺の浮彫にあった奴らだ。

むかしの信仰の妄念が石の中に現われるのか。
そして大理石の影法師どもが討論するのか。
あばれ者の森の神パンの恐怖の叫びが
モーゼの呪いと烈しく声を競う。

おお、この争いはいつ果てるとも知れぬ、
いつも真理は美と争い、
いつも人類の群は二つの党派に分かたれる、
野蛮人とギリシャ人とに。

呪いの声、罵りの声、この退屈な、
この論争はきりがなかった、
それにパーラムの驢馬めがいて、
こいつの声には神々や聖者らも何を言っているやらわからなくなる。

この馬鹿な獣めがすすり泣くように、へどの出そうな声で
「イ―ア」「イ―ア」と鳴きまくるのには、ほとほとまいってしまって、しまいには
ぼく自身叫びだしてしまってーーー眼がさめた。



Poem Harry Heine (1797-1856)



詩人ハイネの最後の日々をなぐさめた女性カミーユ・セルダン。
彼女にハイネが与えた愛称<ムーシュ>。
死の数週間前に彼女に書かれた詩である。

10代のころに読んですべてを理解できぬまま書棚に眠っていましたが
地震で書棚の奥からくずれおちてきまして
何十年振りかで読んでみました。
ハイネの詩は恋の歌が多いと思っていましたが
こんなにもギリシャ神話やキリストの受難
そして芸術的な要素などがちりばめられていた詩もあったのですね。
改めて素敵な詩だと思いました。



今宵もよい夢を

2011年3月2日

あなたのあたたかな歌声をのせて


高く澄みわたった青い空で遊ぶさわやかな風に
ふんわりと優しい白い雲に
届けて私に
あなたのあたたかな歌声をのせて

夜の暗闇のなかでダイヤのように輝く星たちに
ふんわりと優しい寝息とともに
届けて私に
あなたのあたたかな歌声をのせて

愛しい人よ
あなたの瞳が輝くとき
草原は黄金色に変わり
華やかで可憐な花たちが一面に咲き誇る
風はここちよく
うるんだ瞳の乙女たちのほほをなで
夢を大きく描きながら
すべてをやさしく包み込む

両手ひろげれば
宇宙にひびきわたるあなたの歌声が聞こえる
空を泳ぎ、雲と戯れ、風に乗って
遠い国から歌声をひびかせながら
すべてをやさしく包み込む

愛しい人よ
届けて私に
風や雲や星たちに
あなたのあたたかな歌声をのせて



今宵もよい夢を

2011年2月28日

モーツァルト オペラ≪魔笛≫

昨夜観た2000年のチューリッヒ歌劇場で上演されたモーツァルトの≪魔笛≫DVDは、
解説によれば、イギリスのジョナサン・ミラーの演出で、
物語を忠実に再現しながら、作品の精神的背景を照らし出したもの。
おおまかなあらすじは、エジプトの王子タミーノと夜の女王の娘パミーナ、
鳥さしのパパゲーノとパパゲーナが結ばれるまでの童話的なオペラである。
そして、舞台全体は、知性と学識を体現する書庫の形、
そこに旧体制の僧侶や貴族、フランス革命期の新興市民文化の知的教養層、
パパゲーノが代表する一般大衆の階層の人たちで展開されていく。
こぎみよい歌声とリズム、そして歌の間のドイツ語の自然体のセリフ ( ジュングシュピール) が
リズミカルで耳に心地よくとても素晴らしく感じられた。
全体はそんなところでしたが、個人的にとても興味があったところもあって、
またいつか、他の演出家の方の≪魔笛≫も観てみたいと思う。( ツイートに掲載済み)
http://p.twipple.jp/awgdF


今宵もよい夢を

2011年1月31日

Snow at Louveciennes

Musée d'Orsay: Painting ← クリック

Alfred Sisley(1839-1899) 『Snow at Louveciennes 』 1878 Oil on canvas 61 × 50.5cm
paris, Musee d'Orsay © RMN (Musée d'Orsay)



きょうも一日よい日でありますように

2011年1月4日

謹んで新春のお慶びを申し上げます。



HAPPY NEW YEAR


I sincerely wish 

health and happiness

of everybody.



2010年11月28日

おくりもの


富有柿が送られてくると思い出す

40年前の我が家の庭の

太陽をさんさんと浴びて

たわわに実った富有柿を


収穫をしてテーブルに山のように積んで

皆と囲んで秋の恵みを楽しんだ

都会の贅沢だった時間を・・・・・


お礼の言葉は何にしたためましょうか

藤田嗣治<坐る女>( 国立西洋美術館所蔵 ) の絵ハガキがいいかしら

展示場所が変わって

一段と輝いていた彼女の美しさとともに・・・・・



きょうも一日よい日でありますように

2010年11月2日

こんにちわ

だいぶお寒くなりましたが
みなさまお変わりございませんか?

毎年のことながら
11月に入りますとなにやら気ぜわしくなりまして
まいにちばたばたいたしております。

来週末は下田の海近くにて法事。
皆が一ヶ所に集まり、故人をしのび、
そして皆の健康を確かめ合い
語り合ういい機会。
むかしはマイクロバス二台ぐらいで一族がお寺さんから移動いたしまして
料亭にて盛大に食事会がとり行われたものですが
いまや我が家も親族や家族も少人数になり小規模で
ささやかにということになりました。

前日宿泊するクラブには
お料理をお願いして準備完了。

これから所用のため外出兼お散歩。

どうぞ皆様よい一日を

2010年10月22日

こんにちわ


だいぶ秋らしくなりましたね。
いつもご訪問いただいておりますのに、
なかなか更新もできませず、申し訳ありません。

現在も過去に使用した画像のみ使用できる状態です。
一度使用しました画像はどうしても新鮮さを失い
思い出話になってしまいますので、
あまり芳しくありませんが
でも、愛猫ショパンの画像は別ですね。

このころは本当に可愛くて(親ばか)・・・UP
ショパンを初めて見ましたとき、
顎の部分と前後の足の先が
まるでフォ―マルな燕尾服を着ているようで
私の<思い出のピアノを弾く人>を思い出させ
と同時に連鎖的にショパンがピアノを弾いているレリーフが
頭に浮かんだことによって
名はショパンとなったのです。

たぶんそのころからでしょうか、私がピアノレッスンを始めたのは・・・



今夜は羽田空港見物とお散歩も兼ねて、
美味しいレストランもありそうですので夕食もそこで。
なんといっても食欲の秋ですものね。


今日も一日よい日でありますように

2010年10月13日

愛猫ショパンにスポットライト





一番毛ふきがいいころの愛猫ショパン。
このブログに移りましてから、途中大きな画像を投稿できるようになり
また過去の画像は現在投稿できますのでUpしてみました。
私の人生を彩ったものは数々ありますけれど、かれもその一つでしょう。
我が家で、ショパンほど数々のメールにお顔を出した猫ちゃんはほかにいないでしょう。
おひげを生やしたようなお顔はアートや音楽のお話にも、
また猫自体の可愛さは、童話のような『我が家にショパンがやってきた』の主人公にも、
いろいろ私の楽しみのために活躍をしてくれました。
12月で4才になるショパン。
こんどいろいろおしゃべりをする猫のおもちゃを見つけましたので
お誕生日にプレゼントしましょう。

幸せを運ぶ猫ショパン、これからもますます可愛がるつもりです。
まだまだこれからも登場しますので見てください。

今日も一日よい日でありますように


2010年10月12日

我が家に来たころの愛猫ショパン










いつもご訪問いただきありがとうございます。

今日も一日よい日でありますように

2010年9月29日

百獣の王の赤ちゃん時代を
























我が家の愛猫だったレオちゃんを
ライオンの写真を見ながらライオンカット、
よくできたでしょ?(笑)




レオちゃんが我が家に来たころ


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山口県の秋吉台サファリランドでライオンの赤ちゃんが生まれ、
抱かせて写真を撮ってくださるといういうので、
猫好きの私にとりまして魅力的な催しものでしたので、
早朝5時30分の電車に乗り、新幹線に乗りバスに乗り継いで行ってまいりました。
3匹のライオンの赤ちゃんたちは、
小さな囲いの中で可愛くじゃれ合って、
訪れた人たちを喜ばせており、
その横で、昨日この催しは今日までと聞いてきました多くの人たちが並んでおりました。
百獣の王ライオンのほんのいっときの赤ちゃん時代、
まるで子猫のようにサファりランドの飼育係の女性に抱かれ、
ときどき『ガウォー、ガウォー』と泣きながら身を任せているのがなんとも可愛い。
そうこうしているうちに撮影が始まり、
かわるがわるパチリパチリ。
サファりに向かう途中、
我が家の猫ちゃんを抱くように抱けたらと思っておりましたが、
順番に撮影されていく様子を見ておりましたらシンプルに赤ちゃんのわきの下へ手を入れて抱いてくださいと飼育係の女性の声。
赤ちゃんライオンはそのうち御機嫌斜めになり、
飼育係の女性はお顔の前にハンカチを前後左右に振って
上手にシャッターチャンスを作りパチリ。
私の番になり、赤ちゃんを手渡され、
我が家の猫を抱くようにと思っておりましたが、
なかなか難しくやはりシンプルにわきの下からということに。
赤ちゃんとはいえ、かなり重量があり、
しっかりとした身体、素晴らしい存在感、抱くことの束の間の幸福感。
そしてほんの少し声をかけてコミュニケーションをしたかったのですが、
次から次への撮影でお疲れのご様子。
囲いの中に戻されると兄弟の上に重なるようにして眠ってしまった。
『ライオンの赤ちゃん、どうもありがとう。
明日からはゆっくりできるわね。』と内心思いながら
バスに乗り遅れないように何枚か写真を撮りサファリランドを後に。
途中、秋吉台のカルスト台地を通り、秋芳洞から新山口へ、
午後10時30分東京着。
強行軍でしたが素晴らしい一日に。


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ライオンに似たレオですけれど
時には薔薇とコラージュしてエレガントに
この薔薇はルノアールの薔薇です。


今宵もよい夢を☆


2010年9月9日

ホワイト色






































身辺のもので、ここはこうしたらいいのにと思うところがあって・・・
私のできる範囲のところであればとりあえず変えてみる。
ブラックよりも、グレーよりも
ホワイトを選んで塗ってみる。



今日も一日よい日でありますように
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2010年9月6日

朝夕の風は


















朝夕の風はいくらか過ごしやすくなりましたが、
日中の陽ざしはまだまだ暑いですね。
どうぞみなさまくれぐれもお身体を大切にお過ごしください。
今日も一日よい日でありますように
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2010年8月31日

夏の終わりに近づくと

ミレー(1814-1875) 『羊飼いの少女』1850-55

油彩 キャンバス
32.5×25cm

パリ、オルセー美術館



夏の終わりに近づくと
ミレーの『干草を束ねる人たち』(ルーブル美術館蔵) の絵が見たくなります。
暑さに疲れた身体が自然の息吹を感じたくなるからでしょうか。
刈りいれた干草の香りが欲しくなるからでしょうか。

こちらのミレーの作品も好きな作品で
1864年に描かれたルーブル美術館蔵の「大きな羊飼い」と対をなす作品で
「小さな羊飼い」と言われている名作です。
ミレーはこの2点の「羊飼い」を中心にして
さまざまな羊飼いのバリエーションを
油彩、デッサンなどでいくども繰り返し描いています。



今宵もよい夢を☆

2010年8月29日

徳川家康を祀った神社<日光東照宮>

その名は、後水尾天皇から贈られた神号の<東照大権現>に由来するそうです。
世界遺産に登録されているその他のいくつかの社寺も含めて参拝に・・・



  五重塔



  手水舎



  鼓楼



  陽明門



  鐘楼









  眠り猫



徳川家康の墓所の入り口にある左甚五郎の作と言われるこの「眠り猫」には
・奥にねずみ一匹通さないように。
・裏側のスズメと対で猫の裏ではスズメも遊べるという安定と平和。
・牡丹と眠る猫で「日の光」をなどを表現したという説があるそうです。








































 
唐銅鳥居



























  狛犬



階段を登る途中の立て札に
「人の一生は重荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず 東照宮御遺訓 」と

それを過ぎまして、鳥居をくぐり
守護のために置かれた狛犬を通り過ぎますと
その先に徳川家康の神柩を収めた
奥宮御宝塔がある。







東照宮を出まして
二荒山神社を参拝して
日光廟大猷院へ




  輪王寺大猷院



ここには、東照宮を建造した徳川三代将軍<家光公>の廟所( 墓所 )がある。
東照宮と同じような建造物で、死後も家康にお仕えするに従い
東照宮に近接する場所に造営された。
「御尊像」の特別公開が行われていましたので参拝する。
期間は平成23年3月31日までとのこと。



見終わって昔の人の偉業に圧倒され、
家康(1542-1616) に対する家光(1604-1651) の尊敬の念は、
人々の想像をはるかに超えたもののように思われました。
ちょうど家光の御尊像の前にきましたとき、
それまでぽつぽつと降っておりました雨が豪雨にかわり
探幽が描いたような金色に輝く襖絵や竜の天井画のある空間に
しばらく座っておりましたら、
これまでの疲れも癒されて、
そして何かを羽織るほどに涼しくなって・・・
すっかり元気になって
大猷院をあとにしました。



徳川家康を祀った神社「東照宮」は、
当初家康の死後、
息子二代将軍<秀忠>が日光に廟(墓)を作ったが小さかったため
家康の孫の三代将軍家光が大規模なものに再建した。
このとき多くの大工、画家、彫刻家が日光に集まり、
その中には狩野探幽や左甚五郎もいたそうである。
工事は現在の価格で160億、工期は1年5ヶ月、延べ454万人での大工事だったそうである。
東照宮には徳川家康の他に源頼朝、豊臣秀吉が祀られている。





今日も一日よい日でありますように

2010年8月28日

霧降高原へ















東武日光駅に降りたち、
爽やかで美味しい空気を深く吸い込んで・・・。
八月の終わりのささやかな休暇は今年は高原で。
見渡す風景のなかから
小川のせせらぎが聞こえ
テニスコートがちらほら見える。
テニスができればもっと楽しいかしらと思いつつ朝の散歩。
栗のイガもまだ青く
カエデの葉もまだ緑でしたが
吹く風はもう秋を感じさせる。

翌日は日光東照宮へ
今日も一日よい日でありますように

2010年8月8日

ピアノの音色で




華やぎや、輝きや、ときめきを・・・
いつも見失いがちなそれらのものを感じていたくて
鍵盤に指を走らせる。
誰かに聴かせるわけでもなく
ただ自分のために弾くショパンのノクターン。
まだまだレッスン終了は程遠いけれど
すこしずつ上達していくその過程が楽しい。







今日も一日よい日でありますように

2010年7月29日

あっ素敵!

お花屋さんの店先で・・・

今日も一日よい日でありますように


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